2009年12月07日

1905年の日本による竹島編入の有効性

1905年1月28日、日本政府によっておこなわれた竹島の島根県への編入が法的に有効なのか否かが問題となっている。韓国側の主張は、「法的に不十分な手続きであり、秘密裏に行われたもので非合法である」としている。それに対して日本側は、「国際法に則った適法な手続きがなされたものであり、また新聞などでも報道されており秘密裏に行われたとの指摘は当たらない」としている。 なお、判例においては「秘密裏に実効支配をすることはできない」とされており、特定の編入手続きではなくその実効性が争点となっている。実効性以外に通知の手続きを要するとの主張がなされることがあるが、パルマス、クリッパートンの判例において通知義務は否定され、通知義務を支持する国際法学者もごく少数である。島根県の許可に基づく海驢猟や日本軍の望楼建設をどのように評価するかが争点と考えられるが、ライセンス許可を受けた個人や民間の経済活動や軍事基地の建設・維持の活動は実効支配として有効とされている。
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韓国の主張の概略
1870年、日本の「朝鮮国交際始末内探書」に「竹島松島朝鮮附属ニ相成候始末」の記述がある。
1877年、日本は竹島と松島について調査した結果「日本海内竹島外一島ヲ版圖外ト定ム」とし、太政官指令により「竹島外一島之義本邦関係無之義ト可相心得事」としている。外一島とは松島(現在の竹島=独島)のことなので、日本はこの時独島を朝鮮領と認めている。
1882年、日本が製作した『朝鮮國全圖』に松島が描かれている。また、1883年に同じく日本が制作した『大日本全圖』には、松島は描かれていない。松島は独島なのでこの時日本は独島を朝鮮領と認めている。

2009年11月29日

人間がこの世に存在するのは

人間がこの世に存在するのは、親神が人間の明るく勇んで暮らす「陽気ぐらし」を見たいからであり、親神の守護と恵みにより、人間は生かされており、天然自然が存在すると説いている。人間は、親神が見たいと説く陽気ぐらしの実現のために、親神によって生かされているという謙虚な気持ちを持ち、欲を捨て、平和で豊かな世界を目指すことが重要であると説く。

「人間の身体は親神からの「かりもの」(借り物)と説き、心だけが自分のものであると説く。心の使い方によって、ほこり(埃)がたまると説き、自己中心的な心づかいを慎むよう、また親神の思いにそって身体を使わせていただくことが重要であり、ほこりを掃除するように説いている。親神からの「かりもの」であるそれぞれの身体を、陽気ぐらしのために惜しまず使っていくことが大切とされている。また、すべての人間関係は、夫婦関係を基本として培う事が理想であるとされている。

「ひのきしん(日の寄進)」は、日々健康に生きられる事を親神に感謝し、その感謝の意味を込めて、親神のために働くことをいう。具体的には、教会の清掃活動をはじめ、地域における奉仕活動等が行われている。
「つとめ」(かぐらづとめともてんりおうのつとめとも呼ぶ)という祈りを通して、親神への感謝を捧げ、世の中が陽気世界への建て替わっていくことを願う活動。
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病気や怪我の人に信者が教祖へ「おさづけ」を取り次ぐことによって治癒・回復が出来るとしている。
信仰する神が輪廻転生を司るため、人には前生・後生があり、生まれ変わるという死生観がある。教団では、死ぬことを出直しと呼称し、人間は死亡しても、またこの世に生まれ変わるからと説いている。
なお、教祖中山みきが現身を隠された後も(1887年の死亡後も)、生きていて日々世界だすけの上にお働き下されていると説いている。これを「存命の理」と呼ぶ。

2009年11月26日

大阪環状線や阪和線で発生した遅延は

大阪環状線や阪和線で発生した遅延は、大和路線の列車にも及ぶ場合がある。また、阪和線から大和路線に乗り入れる221系の運用もあるため、阪和線にダイヤ乱れが発生するとJR難波発の快速加茂・五条行にも遅延が発生する場合がある。

天王寺駅 - 新今宮駅間は大阪環状線と別線(複々線)で、新今宮駅からも大阪環状線とは別線を進むJR難波発着の列車があることや、大和路快速を運休および運転整理によって発着駅変更してJR難波発着にすることにより、若干ではあるが大阪環状線内での他路線からの直通列車の遅延の影響を緩和している。

平日ダイヤの初発 - 9:00と、17:00 - 21:00まで、JR難波駅 - 奈良駅間を運転する6両編成の103系と201系の3号車、および奈良駅 - 木津駅を運転する207系の奈良方から3両目が女性専用車となっている。対象車両および乗車位置には、女性専用車の案内表示がある。ただし、平城山駅・木津駅にはこの表示はない。

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なお、ダイヤ乱れの際は女性専用車が解除されることがある。

JR西日本は「車内での迷惑行為防止の観点から、安心して利用できる車内空間を提供することを目的としている。」と公式サイト上でコメントしている。

大和路線での使用車両について以下に記す(全て電車である)。なお、他路線が主体となる車両は記載していない。
221系(奈良電車区所属)
主として快速系に運用されるが、早朝や夜間などには普通列車にも使われる。和歌山線・桜井線にも乗り入れる運用がある。1989年から投入された。
223系6000番台(宮原総合運転所所属)。

2009年11月09日

モンゴロイド

モンゴロイド はかつての形態人類学上の「人種」[1]概念の一つ。黄色人種、モンゴル人種とも言う。

最大に定義された場合の狭義のモンゴロイドは、東アジア・東南アジア・南北アメリカ大陸・太平洋諸島及びアフリカ近辺のマダガスカル島にも分布する。人類の遺伝子の研究が進むにつれ、遺伝的に近いオーストラロイドもさらにモンゴロイドに含め、これと狭義のモンゴロイドを総括した広義のモンゴロイドとする学説もあった。 但し、南北アメリカ大陸に分布するネイティブ・アメリカンをモンゴロイドから分岐した別人種とする定義も存在する。
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近年の人類集団を分類する学説では、各人種の原初の居住地を分類名称とすることが多くなっており、その場合、アジアを起源として居住を続けたモンゴロイドを東ユーラシア人とし、アメリカ大陸で分化したモンゴロイドを南北アメリカ人とし、旧来オーストラロイドとされたサフール人を含めた、以前の広義のモンゴロイドを互いに遺伝的に近い人類集団として全て網羅する定義としては、「環太平洋人」とする説がある。

パプアニューギニアやオーストラリアの先住民は、オーストラロイドという別人種に分類された。かつて、オーストラロイドをモンゴロイドの祖先とする考え方があったが、DNA分析により現在では否定されている。ただし、先述の通りモンゴロイドとされた東・東南アジア及び南北アメリカ大陸等の集団には遺伝的に近い。

2009年10月30日

自然発火性物質

自然発火性物質とは自然発火する性質を持つ物質である。 つまり、その自己発火温度は、室温より低い。 例はウランを含む硫化鉄と多くの反応性の高い金属である。 粉末になったり、薄くスライスされたり、それらが水または湿った空気に触れた時に、発火性物質に火がつく。 それらは、アルゴンまたは一部の例外を除いて窒素などの不活性ガス雰囲気下で問題なく取り扱われることができる。

自然発火性のある液体は、少量の場合テフロン加工されたビンに保存される。 大量の場合にはガスシリンダーに類似した金属タンクで供給される。
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自然発火性のある固体は、不活性ガスで満たされた密封されたグローブボックスで保存される。 グローブボックスは高価で、メンテナンスを必要とする。 このため、少量の自然発火性のある固体はオイルや炭化水素溶媒に溶かしたり沈めた状態で販売されている。 軽度の自然発火性のある固体、例えばリチウム、アルミニウム粉、金属の水素化物などは短期間は空気中で取り扱われることもある、しかし、保存容器は不活性ガスを充填していなければならない。

2009年10月19日

第一次声優ブーム

民放テレビの草創期には、1961年の五社協定でテレビ局への日本映画の供給停止が決まったことなどによるソフト不足から、海外ドラマや洋画などのいわゆる外画の日本語吹替版が数多く放送された[21][22][23]。これを背景として声優人気が高まっていった。当初、NHKは基本的に字幕スーパーで海外作品を放送していたため、日本語吹替版は民放が中心となっていた。以後、海外作品は1960年代前半をピークとして放送された。

ブームの中心人物はアラン・ドロンを持ち役とした野沢那智。映画俳優は五社協定とギャラの問題で吹き替えをしなかったため、テレビでの吹き替えは草創期のテレビ俳優と同じく、ラジオ時代からの放送劇団出身者や新劇の舞台役者に多くを依存した。海外アニメにおいては、落語家や浅草出身のコメディアンなどもキャラクターの声をあてたという例がある。
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この時代にはまだ声優という言葉は一般には認知されておらず、別称として、吹き替えを主にしたことから「吹き替えタレント」、声をあてることから「アテ師」というものがあった。吹き替え全盛期に東京俳優生活協同組合(俳協)が誕生。後に俳協から分かれて多くの声優プロダクションが結成された。

テレビの吹替作品第1号はTBSの前身であるKRTテレビが1955年10月9日より放送開始したアメリカのアニメ『スーパーマン』であると言われる。実写では1956年にTBSの前身であるKRTテレビで放送された『カウボーイGメン』と記録されている。

2009年06月19日

江戸時代以前の日本の人々は

江戸時代以前の日本の人々は、しばしば遣唐使を通じて長く交渉を持った唐の国号をもって中国を呼んだ。古語で外国を意味する「から」の音を「唐」の字にあてる例も多い。中国を「唐土(もろこし)」と呼称したり、日本に来航する中国商人は「唐人(からびと、とうじん)」と呼ばれ、文語の中国語を「漢文」というのに対して口語の中国語は「唐語(からことば)」と呼ばれた。また、かつて東南アジア(台湾含む)などの華人も祖国を「唐山」と呼んた。
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「契丹」に由来する呼称 [編集]
11世紀頃に中国の北辺を支配したキタイ(契丹)人の遼王朝から中央アジア方面ではキタイ、カタイという呼称が生まれた。ペルシア語やテュルク語を通じて中国の文物の名前を知ったと見られるマルコ・ポーロは、北中国のことをキタイという名で記録した。ロシアでは現在も中国のことをКитай (Kitay) と呼んでいる。西ヨーロッパにはCathayとして伝わり、キャセイパシフィック航空の社名などに使われているが、Chinaに比べるとあまり広汎に用いられる呼称ではない。

2009年06月01日

ソ連崩壊(ソれんほうかい、露: Распад СССР)

ソ連崩壊(ソれんほうかい、露: Распад СССР)とは、1991年12月25日にソ連大統領ミハイル・ゴルバチョフが辞任し、同時に各連邦構成共和国が主権国家として独立したことに伴い、ソビエト連邦(ソ連)が解体され消滅した事件である。

ソ連崩壊は、1922年の設立以来、アメリカ合衆国に匹敵する超大国として69年間続いたソビエト連邦が、独立国家共同体(CIS)に取って代わられ、その国家格を失ったということと、東側陣営の総本山として君臨し、前身のボリシェヴィキ時代を含めて1917年以来74年間続いたソ連共産党によるソ連型社会主義体制が崩壊したことにより、かつて世界を二分した冷戦の時代が名実共に終焉を迎えたという、二つの文脈において重要な出来事である。

1953年にソ連共産党の党第一書記に就任し、1956年2月、共産党第20回党大会にてスターリン批判を行ったニキータ・フルシチョフは、社会主義の範囲での自由化・民主化を推めようとした。しかし党官僚の抵抗に遭い、1964年に失脚。後を継いだ党官僚出身のレオニード・ブレジネフの時代は、退歩がない代わりに進歩もない停滞の時代と呼ばれ、党官僚の特権化や物資不足・冷戦の激化ばかりが進んだ。

1982年にブレジネフが死去した後のソ連は、ユーリ・アンドロポフ、コンスタンティン・チェルネンコと短命政権が続く。

1985年3月、ソ連共産党書記長に選出されたゴルバチョフは、フルシチョフの失脚以来封印されていた社会主義の範囲での自由化・民主化に再着手した(ペレストロイカ)。それまで秘密のベールに包まれていたソ連共産党中央委員会にテレビジョンカメラを入れ、会議の模様を全国中継するなど、情報公開(グラスノスチ)も推進した。しかし、1986年4月に起きたチェルノブイリ原子力発電所事故を、西側に指摘されるまで隠蔽するなど、改革の不充分さも露呈した。この後、ペレストロイカは速度を上げることとなった。

ゴルバチョフによるペレストロイカは外交面でも2つの新機軸を打ち出した。一つが冷戦体制を緊張緩和の方向に導く新思考外交、そしてもう一つが東欧における衛星国に対してのソ連及びソ連共産党の指導性の否定(シナトラ・ドクトリン)である。冷戦の緊張緩和については1986年ソ連軍のアフガニスタンからの撤退を表明。翌年1987年には当時のアメリカ大統領ロナルド・レーガンとの直接会談(レイキャヴィーク会談)を実現させた。この会談では当時アメリカが進めていたSDI(スターウォーズ計画)を巡ってレーガンと対立したが、当時の2大大国が話し合いによって歩み寄りの姿勢を示すことが世界に対して示された意義は大きい。
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シナトラ・ドクトリンに関してはゴルバチョフ就任当初から各国共産党に対して内々に示されていたが、88年のベオグラード宣言の中でこれを明文化し、世界中に対してソ連が東欧諸国に対する指導制を放棄したことを表明した。こうしたソ連の変化に対していち早く対応したのがハンガリーとポーランドで、この2カ国はいち早く民主化運動に乗り出した。特に1989年8月にハンガリーで行われた汎ヨーロッパ・ピクニックは、同年11月にベルリンの壁崩壊を引き起こした。ベルリンの壁崩壊を引き金に、各国の共産党政権は次々と下野し、自由選挙による新政権が成立した。この一連の東欧革命に対しても、ゴルバチョフは早急な東西ドイツ統一と、それに伴う北大西洋条約機構(NATO)の拡大を警戒したのみで、ハンガリー動乱やプラハの春(チェコ事件)の時のように、武力による民主化運動の鎮圧という立場を取らなかった。これは、中華人民共和国で1989年に発生した天安門事件が国際的な非難を浴びたことから、西側諸国からの外圧を恐れて、強硬な措置を取れなかったと考えられる。

2009年04月29日

阿曇磯良

阿曇磯良(あづみのいそら、安曇磯良とも書く)は、神道の神である。海の神とされ、また、安曇氏(阿曇氏)の祖神とされる。磯武良(いそたけら)と称されることもある。

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石清水八幡宮の縁起である『八幡愚童訓』には「安曇磯良と申す志賀海大明神」とあり、当時は志賀海神社(福岡市)の祭神であったということになる(現在は綿津見三神を祀る)。同社は古代の創建以来、阿曇氏が祭祀を司っている。

民間伝承では、阿曇磯良(磯武良)は豊玉毘売命の子とされており、「日子波限建」(ひこなぎさたけ)と冠されることのある鵜葺草葺不合命と同神であるとする説がある(磯と渚はどちらも海岸である)。また、『八幡宮御縁起』では、磯良は春日大社に祀られる天児屋根命と同神であるとしている。

『太平記』には、磯良(阿度部(あどべ)の磯良)の出現について以下のように記している。神功皇后は三韓出兵の際に諸神を招いたが、海底に住む阿度部の磯良だけは、顔に牡蠣や鮑がついていて醜いのでそれを恥じて現れなかった。そこで住吉神は海中に舞台を構えて磯良が好む舞を奏して誘い出すと、それに応じて磯良が現れた。磯良は龍宮から潮を操る霊力を持つ潮盈珠・潮乾珠(日本神話の海幸山幸神話にも登場する)を借り受けて皇后に献上し、そのおかげで皇后は三韓出兵に成功したのだという。志賀海神社の社伝でも、「神功皇后が三韓出兵の際に海路の安全を願って阿曇磯良に協力を求め、磯良は熟考の上で承諾して皇后を庇護した」とある。北九州市の関門海峡に面する和布刈神社は、三韓出兵からの帰途、磯良の奇魂・幸魂を速門に鎮めたのに始まると伝えられる。

阿曇磯良は「阿曇磯良丸」と呼ぶこともあり、船の名前に「丸」をつけるのはこれに由来するとする説がある(ほかにも諸説ある)。宮中に伝わる神楽の一つ「阿知女作法」の「阿知女(あちめ)]は阿曇または阿度部のことである。

2009年04月14日

東トルキスタン共和国

東トルキスタン共和国トルコ系イスラム教徒によって、20世紀前半に中華民国の新疆省であった中央アジアの東トルキスタン地方において樹立された政権。歴史上2度にわたり、それぞれ別々の地域を拠点として樹立された2つの政権があり、いずれも一定の期間東トルキスタンの一部において実効的な独立政権を実現した。

第2次の東トルキスタン共和国は中国国民政府との新疆省連合政府を経て中華人民共和国に侵略されて消滅したが、それ以降、主に国外を中心に東トルキスタンの独立を主張するウイグル人活動家たちによって復興が試みられている。例えば、天安門事件の翌年1990年、新疆西部のアクト県バリン郷において起こった「バリン郷事件」では郷政府を襲撃したウイグル人住民が、「東トルキスタン共和国」の樹立を宣言したものの、わずか2日間で鎮圧されたと伝えられ、2004年にはアメリカで同名の東トルキスタン亡命政府が樹立されている。

本項では時系列に従い、東トルキスタン南部のタリム盆地を中心とした第1次東トルキスタン共和国(1933年~1934年)、東トルキスタン北部のイリ、タルバガタイ、アルタイの3区を拠点とした第2次東トルキスタン共和国(1944年~1949年)について順に述べる。

第1次(1933年~1934年) [編集]
第1次の東トルキスタン共和国は、1930年代始めに東トルキスタンを支配していた新疆省政府に対してウイグル人が主体となって現地のイスラム教徒の独立運動を糾合し、タリム盆地西南部のカシュガルに建設された政権である。

この政権の発足は、1931年にクムル(ハミ)、1932年にトゥルファンで、当時新疆に進出してきた甘粛省のイスラム教徒(回族)軍閥である馬仲英に触発されて起こった反乱が契機であった。クムルのホージャ・ニヤーズらに率いられた反乱勢力は、省政府軍の攻撃を受け、西方へ逃亡した。

一方、回族軍閥の侵入を受けなかったタリム盆地南部のホータンでも1933年初頭に、ムハンマド・アミーン・ブグラらが、在地の宗教指導者をリーダーに戴き、反乱を起こした。ホータンの反乱軍は漢族の官吏を追放してホータンを支配すると、西のヤルカンド、カシュガルへ進軍し、クムル、トゥルファンから逃亡してきた勢力を糾合して11月12日に東トルキスタン・イスラーム共和国の建国を宣言した。

共和国の大統領には、クムルの勢力を代表しホージャ・ニヤーズが、首相にはホータンの勢力を代表しサービト・ダーモッラーが就任した。彼らはイギリス、トルコなどの諸外国の承認を得て独立を国際的に認めさせようとしたが失敗している。

一方このとき、トゥルファンを占拠する馬仲英に脅かされていたウルムチの新疆省政府はソビエト連邦に介入を要請。翌1934年の初頭に新疆に入ったソ連軍によってトゥルファンを追われた馬仲英の軍は、ホータンに侵攻し、東トルキスタン・イスラーム共和国の軍隊を壊滅させた。

共和国崩壊を受け、大統領のホージャ・ニヤーズは、ソ連を通じて省政府督軍の盛世才と交渉を行い、首相のサービト・ダーモッラーを新疆省政府に引渡し、自らは省政府副主席に就任した[1]。

第1次東トルキスタン共和国は宗教指導者に率いられた反乱をきっかけとするが、共和国の設立に中心的に活躍したのはロシア領の西トルキスタンで1910年代に行われたジャディード運動に影響を受けた商人・知識人層であり、20世紀初頭から始まった東トルキスタンの民族運動のひとつの結実を示す事件であった。

第2次(1944年~1949年) [編集]
第2次の東トルキスタン共和国は、第二次世界大戦期にソ連の支持を得て高揚した東トルキスタン独立運動によって、新疆省の北部に樹立された政権である。中華人民共和国では、中国革命の一環として行われた反国民政府運動のひとつと見なされ、彼らの政治運動はイリ、タルバガタイ、アルタイの三地区を支配したことから「三区革命」と呼ばれているが、実際には中国からの独立政権を目指していた。

1944年にイリ渓谷のグルジャ(伊寧市)で蜂起した反乱軍が同年11月12日に建国した。反乱軍にはソ連軍(赤軍)が、装備、要員面で協力しており、12月までにイリ地区の全域が反乱軍の手に落ちた。また、翌1945年には、ソ連領の西トルキスタンで教育や訓練を受けたカザフ人のゲリラ勢力が、アルタイ地区、タルバガタイ地区を占領し、東トルキスタン政権に合流した。

共和国の元になった反乱軍は親ソ派ウイグル知識人のアブドゥルキリム・アバソフが指導していたが、共和国政府は、ウイグル人だけではなく東トルキスタンに居住する全テュルク系ムスリムを糾合させる汎テュルク主義を標榜していた。共和国の主席には親ソ派ウズベク人の宗教指導者アリー・ハーン・トラが、副主席にはクルジャの名家出身の有力者アキムベク・ホージャが就任し、ムスリム社会の上層部の人々が積極的に政権に招聘された[2]。

しかし実際には、共和国は軍事部門を中心に、ソ連国籍を持つロシア人やテュルク系民族出身の要員に指導されており、ソ連の強い影響下に置かれていた[3]。共和国政府では、中国国民党との交渉で台頭した親ソ派のアフメトジャン・カスィミが次第に実権を掌握していった[4]。

1945年9月、東トルキスタン軍が、ウルムチへの進軍を始めたため、新疆省政府はソ連に和平の仲介を要請した。「独立国」東トルキスタン共和国の頭越しにソ連と国民政府の直接交渉が行われ、ソ連はアリー・ハーン・トラ主席を自国に連れ去ってしまった。この結果、東トルキスタン共和国は1946年、ソ連の意思に従って新疆省政府に合流した。

しかし、新疆省政府と東トルキスタン共和国政府が合同して成立した新疆省連合政府は1年後に崩壊し、副主席アフメトジャンをはじめとする旧共和国派はイリ地方に退去して、かつての東トルキスタン共和国の領域を再び支配しはじめた。

1949年、国共内戦を制した中国共産党は、新疆の接収を行うために、鄧力群を派遣し、イリ政府との交渉を行った。毛沢東は、イリ政府に書簡を送り、イリの首脳陣を北京の政治協商会議に招いた。しかし、8月27日、北京に向かったアフメトジャン、アバソフ、デレリカン・スグルバヨフ、イスハクベグ・モノノフらイリ首脳陣の乗った飛行機はソ連領内で消息を断ち、首脳を失ったイリ政府は混乱に陥った。残されたイリ政府幹部のセイプディン・エズィズィが、急遽政治協商会議に赴き、共産党への服属を表明した。9月26日にはボルハンら新疆省政府幹部も国民政府との関係を断ち共産党政府に服属することを表明した。12月までに人民解放軍が新疆全域に展開し、東トルキスタンは完全に中華人民共和国に統合された

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